母ちゃんは笑え!

四十路の私、長女(悪魔の4歳)、次女(1歳・ダウン症&心疾患もち)、ときどき夫による息切れな日々

徳のある顔をしてるね~ダウン症がわかるまで⑦~

泣きながら産科の看護師さんに
次女への気持ちと、
NICUへの不満を話した翌朝。

溜め込んでいたものを吐き出して、
スッキリした気持ちで
さぁ!次女に会いに行くぞと
気合いを入れていると、

私の愚痴に付き合ってくれた
看護師さんがやってきて笑顔で言った。
「昨夜の話、NICUにも伝えておきました!」

え?
何を伝えたの?全部?嘘でしょ?
行きにくいわ!

とはいえ次女の待つNICU
行かないわけにはいきません
気を取り直して、いざ出陣


NICUを訪れてすぐに、看護師さんから
ご主人は次は何日に来られますか?
と聞かれた。
その日にDr.からお話がありますと。



迎えた産後5日目
夫とともにNICUのDr.から説明を受ける。

次女は心臓の状態から、
すぐに手術が必要であること。
そして「次女ちゃんはダウン症の特徴が
強く出ています」と告知を受けた。

わかっちゃいたけど、
「強く」とか、
言わんで良くない?

要は染色体の検査をしましょうって話。
でもたぶん私が愚痴ったせいで、
より明確にダウン症って言われた気がする。

夫は思った以上にショックを受けていた。

ごめんて。


ダウン症の告知を受けてから、
私の気持ちは次女を受け入れる方向に
大きく舵を切ったように思う。


産まれた直後は宇宙人のようだった
次女の顔は、少し時間が経って
大仏のような顔に変化していた。


そんな次女の顔にも愛着が湧いて、

「あなたは美人じゃないけど、
なんだか徳のある顔をしてるね」
とつぶやいていたら、

近くにいた看護師さんが
すごく素敵な表現ですねと
笑ってくれた。


うちの子はダウン症なんです~ダウン症がわかるまで⑥

出産の瞬間、次女がダウン症だと悟った私。

とはいえ何がてきるわけでもなく、
帝王切開で開いた腹を閉じられ、
しばらくは身動きできずに過ごした。


翌日、産科の看護師さんに車イスを
押してもらいNICUへ。


モニターとチューブにつながれた
次女の姿を眺めながら、
ダウン症の特徴を探す。

つり目、鼻骨が無い、耳の折れ曲がり、
ますかけ線、首の後ろの皮膚の余り…

次女は全て当てはまっていた。

抱っこするとフニャフニャと頼りない。
「わぁ柔らかいねぇ」と思わず言った
私を見て、看護師さんが気まずそうに
苦笑いをした。

まだ医師からの告知は受けていないので、
看護師さんはわかっていても言えない。
「この子、ダウン症ですよね」と
確認したいけど、できない。

なんとなく消化しきれない気持ちのまま
面会を終える。


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次女は母乳を飲めないのに、
容赦なく始まる3時間おきの搾乳。

搾乳器で母乳をとるのが空しくて、
一生懸命飲んでくれた長女の記憶がよみがえる。


思わず看護師さんに「飲んでもらえないのってツラいですね」とつぶやくと、急に涙がこらえきれなくなった。

優しく話を聞いてくれる看護師さんに、
NICUで感じたことをぶちまける。


うちの子はダウン症なんです。
顔を見ればすぐにわかります。
医師からの告知があるまで、
病気の話ができないのもわかります。
でも、私はダウン症の次女を
受け入れた上で、話がしたい。
病気の話を避けてほしくない。
触れてはいけないもののように
扱われたくない。


寝不足と産後のホルモンバランスもあって、
しばらく愚痴と涙が止まらない私の話を
看護師さんはじっと聞いてくれた。

つづく



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「ママの声で目を開けた」~ダウン症がわかるまで⑤~

妊娠38週。いよいよ帝王切開のため入院。

コロナの影響で長女とは面会禁止。夫との面会も最低限に制限されていた。

夜に一人で寝るのは長女が産まれてから初めてのことだった。
翌日は私も命がけ。食事が許される最後の時間にハーゲンダッツを食べて気合いを入れた。


翌朝10時から手術。
準備を済ませて手術室へ行く。

好きな曲を流すこともできたけど、出産で何があるかわからないことを思うと、選ぶ気になれず、病院のチョイスでオルゴールの音が流れていた。

手術台に寝て、麻酔医さんと話しながら下半身に麻酔をかけていく。すぐに感覚が無くなり、開腹。
ここまで来るとただその時を待つしかない。


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帝王切開の場合、赤ちゃんが出てくるまで、本当にあっという間で、ドラマのような感動はなく、淡々と次女が取り出される。


。。。泣かない。

聞こえたのはゴボゴボとうがいをするような音だけ。

あれ?大丈夫?
不安になった頃ゴボゴボの音に混じって
「あっ!あっ!」と小さい泣き声が聞こえた。

産まれてすぐに大音量で泣いた長女に比べると、あまりに弱々しい泣き声。


看護師さんがなぜか泣き出しそうな顔で「産まれましたよ」と見せてくれる。

産まれたばかりの次女の顔はむくんで顔色も悪く、目はほとんど開いていなかった。


何かが違う。
見た瞬間にあぁダウン症だと感じた。

看護師さんの泣きそうな顔も、そういうことなんだろうと思った。


お世辞にも可愛いとは言えず「ちっちゃいねぇ~」となんとか言葉をしぼり出して次女に声をかける。

その声に反応するように、次女は片目だけを懸命に開けて私を見た。
その目は黒目しか見えず、宇宙人みたいだなと思った。

「ママの声で目を開けたね。わかるんやね」
やっぱり泣き出しそうな声で看護師さんが言った。

対面は一瞬だけで、次女はすぐにNICUへと連れ去られていった。


泣き声はおかしいし、顔は宇宙人。
正直、全く可愛いと思えなかった。
そんな自分にショックを受けていた。


手術台の上でお腹を閉じられながら、これから次女のことを育てられるだろうかと不安が押し寄せていた。


「できることはありません」~ダウン症がわかるまで④~

心疾患が見つかった次女の出産のため、妊娠34週で転院。
転院先での検査後、次女の病状とダウン症の可能性について医師から聞かされ、夫が泣き出した。


看護師さんが泣いている夫に気づき、個室に案内される。

心疾患がわかってからも「手術すれば治る」と楽観的だった夫。
私がダウン症かもと話しても聞こうとしなかったけれど、ついに医師に宣告され、かなりショックを受けている様子だった。


「元気に産まれてくることしか考えていなかった」と男泣きする夫につられて、私も涙を堪えられなかった。


夫婦でメソメソする私達の話を、看護師さんはゆっくりと聞いてくれた。

落ち着いた頃、看護師さんから「心臓の病気もダウン症も、今できることはありません。だからママはゆっくり過ごして、できるだけ長くお腹のなかで育ててあげて下さい」と言葉をかけられた。


看護師さんのこの言葉で私は覚悟が決まった。

次女はこれまで順調に育ってきたし、疾患があるなんて信じられないくらい胎動も元気。

幸い産む前に心疾患がわかったおかげで、新生児医療の整った大きな病院で産むことができる。

そしてどれだけ悩んでも、すでに36週。
産むしかない。


覚悟が決まった私とは裏腹に、夫はかなり落ち込んでいた。

ひたすらダウン症の子をもつ親御さんのブログやYouTubeを見て、何度も泣いて、夫婦で話をした。


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そのうちにダウン症以外の障害のある子供をもつ親御さんの情報まで見るようになった。

世の中には様々な障害をもつ子供達がいて、その子を支える親御さんがいる。なかには本当に過酷な状況のなかで、それでも踏ん張っている人達がいる。

そうして夫は、ダウン症くらいいいじゃないかという心境に至ったようで、次女のことを受け入れ始めた。


長女が帝王切開での出産だったので、次女も38週に帝王切開で産むことが決まっていた。
それまでお腹にいてくれるように、私は毎日「まだだよ~」とお腹に言い聞かせていた。

できるだけ大きく、できるだけ丈夫に。
取り出される最後の瞬間までお腹にいてほしい。


願いが届いたのか、次女はお腹にとどまったまま、入院予定の38週を迎えることができた。


「確率は50%です」~ダウン症がわかるまで③~

次女の心疾患が分かり、大きな病院へ転院が決まった日、夫に次女はダウン症かもしれないと私の考えを話した。

夫は「そんなことないやろ」と否定的だった。
いっしょに医師からの説明を聞いたはずなのに、受け止め方の違いに驚く。


次女の心臓に影があると言われてから、私はたくさんのダウン症に関するSNSを読み漁った。

房室中隔欠損という病名が分かってからは、次女と同じ疾患でダウン症ではなかったという情報を探した。

誰かに「違う」と言ってほしくて、何度も検索して、見つからなくて泣いた。
あぁ次女はダウン症なんだなと一人でひっそりと受け入れていった。


転院先の初診日、この日も夫が付き添う。
この日は検査だけで終了。

妊娠35週の妊婦を急に受け入れることになった病院はバタバタしていて、様々な検査をやり直し、様々な説明を一気にして、書類をそろえていく。

あまりに慌ただしくて、この日もダウン症の話はできずに終わってしまった。


転院先で2回目の健診の日。すでに妊娠36週。

病院側から何も言われなかったら、こちらから聞こうと夫婦で話し合い、いざ出陣。


心エコー検査で、転院前の病院で次女の心臓を診てくれたエキスパートに出会った。

知っている顔に出会えてなんだかホッとする。

予定されていた検査が終わったあと、夫婦で個室に案内された。

そこにはエキスパートとベテランっぽい看護師さんがいて、次女の心臓について、詳しい説明があった。


ひととおり心臓の話をしたあと、エキスパートから「前の病院で心臓以外のことは何か聞かれましたか?」と確認された。

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内心、来た来たと思いながら「何も聞いていません」と答える。

エキスパートは言いにくそうに「この病気はダウン症の合併症として知られています」と話した。


やっと聞けた、と思った。
次女の心臓に影があると言われてからダウン症の話をされるまで約一ヶ月。

毎日さんざん調べて、さんざん泣いたおかげで、この時は泣かずに話を聞けた。


夫が「それはどのくらいの確率ですか?」と聞く。エキスパートは少し考えて「だいたい50%くらいです」と答えた。

私にとって50%は低いなという印象だったけれど、夫は「うーん」とうなったきり黙りこんだ。


部屋を出るとき看護師から「大丈夫ですか?」と声をかけられる。

「大丈夫です」と答えようとして振り返ると、夫が泣いていた。


「ここでは治療できない」~ダウン症がわかるまで②~

待ちに待った心エコーの日。

それまで一度も付き添ったことのない夫が「オレも行く」と言い出した。


夫とは心疾患の話はしていたけれど、ダウン症かもしれないとは伝えていなかった。
「心臓は手術すれば治る」と楽観的なことを言う夫に、治らないダウン症の話をするのが辛くて、先延ばしにしていた。


予約時間どおりに受付を済ませけれど、急患が入ったのか、やたらと待たされる。

志願して付いてきたくせに「こんなに待たせるなんておかしい」と愚痴る夫にげんなりした頃、ようやく順番が回ってきた。


エコー室へ入ると、前回の3Dエコーを担当した若い女医さんと心臓のエキスパートが待っていた。

エキスパートは女医さんに何か説明しながら30分以上かけて次女の心臓を見ていく。
その間、私に対しては何一つ話してくれない。

おそらく誤解を生むことが無いように、敢えて無言なのだろう。
とはいえ30分以上、ほぼ無言でお腹をぬりぬりされるのはなかなかの苦行だった。


やっと心エコーが終わり、いよいよ問診。

次女の心臓は思ったよりも深刻だった。

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4つに分かれているはずの心臓の真ん中に穴が空いていて、2つあるはずの弁が1つしかない。

病名は房室中隔欠損症。

担当医から「うちでは産むことはできても、赤ちゃんの治療ができない。赤ちゃんの治療ができる大きな病院に移ったほうがいい」と言われた。


…え?ここで産めないの?

このとき妊娠34週。

もしもの時に備えて荷物も詰め終わっていたし、長女を産んだのと同じ病院ということもあって、心の準備も万端だった。なのに転院?


転院先の病院は、車で1時間ほど。
何かあったらどうやって病院まで行く?
長女はどうする?

頭が全く付いていけていないのに、慌ただしく書類の準備と転院手続きがすすむ。

いろいろな話をしているのに、ダウン症のダの字も出てこない。


ネットで病名を調べれば、次女がダウン症である可能性はかなり高い気がする。

心疾患にはいろいろな種類があって、心疾患=ダウン症ではないけれど、房室中隔欠損症はダウン症の合併症の代表的なものだ。


あぁこの医者は告知もせずに、次の病院に追いやるのだな、と思った。

医療界のルールは知らないけれど、ダウン症の可能性があるのなら、早く話してほしい。
できれば夫にも、医師から説明してほしいと思っていたのに。

かといって、こちらから確かめる気力もなく、ぐったりしながら病院を出た。


帰宅後、病名を聞いても相変わらず「大きな病院のほうが安心」と楽観的なことばかり話す夫に、次女はダウン症かもしれないと打ち明けた。

「心臓に影が」~ダウン症がわかるまで①

妊娠30週を過ぎたある日の妊婦健診。

年齢的に最後の妊娠だろうし、記念に撮っとくかと、気楽な気持ちで受けた3Dエコーで、若い女医さんはやけに念入りに次女の心臓を見ていた。

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女医さんは担当医とは別の方で、淡々としていて話しにくい印象だった。

せっかく受けた3Dエコーなのに、娘はお顔を手で隠したままだし、見せられるのはよく分からない心臓の映像ばかり。
女医さんは無言のまま。

さすがに何かあるのかと不安になった頃、「大腿骨が短いって指摘されたこと無いですか?」と唐突に聞かれた。

「無いです」

自慢じゃないけど、経過は順調。
我ながら、年の割には元気な妊婦で、糖尿も高血圧も指摘されたことがない。
赤ちゃんも小さすぎず大きすぎず、何一つ問題なく育っていると思っていた。

年齢とともにダウン症の確率が上がることは知っていた。大腿骨が短いというのがダウン症の特徴のひとつだということも。

一気に不安になる。
何かあるならハッキリ言ってほしい。
なんて不親切なヤツだと、心の中で女医さんに八つ当たりしながらエコー終了。

エコー後の問診で、担当医から「心臓に影が見えたようで、気になるので念のために心エコーしましょう」と告げられた。

気になると言う割りに、医師に告げられた検査日は2週間後。これから2週間、どんな気持ちで過ごせばいいのか。

夫に心エコーのことを伝えると、「2週間後でいいのなら、大したことじゃないんだろう」と楽観的な答えが返ってきた。

私はそんなに楽観的にはなれず、暇さえあれば検索ばかりして過ごした。

ネットは知りたいことをすぐに教えてくれる反面、知りたくないことも突き付けてくるもので、心疾患に関する情報とセットのようにダウン症の文字が目に入る。

そしてどれだけ調べても結局、ダウン症かどうかは産まれてみないと分からない。

悶々としながら2週間を過ごして、検査日を迎えることになった。