母ちゃんは笑え!

四十路の私、長女(悪魔の4歳)、次女(1歳・ダウン症&心疾患もち)、ときどき夫による息切れな日々

卵の命日

こんにちは、ハルキゲニアです🐤


今日は卵の命日です。

卵というのは受精卵のことです。


私達夫婦は、子供を授かるまでに

約4年不妊治療をしました。

原因はわからないまま、

体外受精までステップアップしました。



そのころ夫が転職して経済的に苦しく、

1回だけ体外受精をしてダメだったら

もう子供はあきらめようと話していました。



体外受精は、卵子をホルモン治療で増やして

体外に取り出し、精子と受精させてできた

受精卵をまた体内に戻すという治療法です。

(ざっくりですが)



私の場合、卵子は10個以上とれましたが、

受精卵まで成長したのはわずか2つ。



とはいえ、それまでの治療では全く脈がなく、

受精卵ははじめて目に見えた成果でした。

1つの卵はすぐに子宮に戻し、

1つは凍結して出番を待つことになりました。



期待し過ぎてはいけないと思いながら、

ここまでやったんだからできるだろうと

思ってしまう自分がいました。

受精卵に名前をつけ、大事に大事に過ごしました。



2年前の2月1日。結果発表の日。

担当の先生に「ダメでした」

とあっさり告げられました。

今後の説明があるからと待合室へ。

そこで嗚咽するほど泣きました。



そこは不妊治療専門のクリニック。

みんな何かしらツラい思いをしてるだろう。

だから私が泣いたって「あの人も何かツラいことが

あったんだ」とみんなわかってくれるだろう。

そう思って遠慮なく泣きました。



先生に呼ばれて今後の説明を聞きながらも、

ひたすら泣きました。

「もう1回チャンスはあるから」と

何度も言われましたが、止まりませんでした。



夫にはすぐに結果を知らせていましたが、

顔を見て話すとやっぱり涙が出ました。

夫にも「次があるから」と励まされました。



私は2回のうち1回のチャンスがなくなった、

とは割りきれませんでした。

やっと目にした受精卵。

私のなかではかけがえのない命でした。

もっと辛い経験をしてる方がいることも

わかっています。

ただ私にとっては4年の不妊治療の中で、

いちばん悲しいできごとでした。



今でもその日のことは、忘れられません。

小さい小さい命が確かに存在して

静かに消えていったことを、

私だけは忘れずにいようと思います。



その後、最後の望みの受精卵が、

娘となって今日も元気に暴れています。



顕微鏡でしか見えないくらい小さかったあなたが

私のおなかに必死にしがみついて、

一生懸命、育ってくれたんだね。

私をお母さんにしてくれてありがとう。



さて、今回はここまで👐

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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